親友の矢野が入院した、見舞いに行かなきゃ!え、亡くなった~うそ~~!
前回にも登場した
大食いの矢野
す~さんの
一番の親友
どんぶり飯3杯は軽く食べちゃう!!
だった・・・・・・
御影から
大石の一軒家へ引っ越しした始まった
合宿所のような下宿
1階に2人
2階に3人の神戸大学生が下宿していた
最初す~さんが越してきたとき
一階に同級生に倉本
二回に経済学部の4回生一人
文学部の3回生が二人すんでいた
いつの日からか
2階は
クラスの同級生ばかりになってしまった
森松と高橋は自動車部だったので
顔を出しはじめたのが
矢野
お蕎麦やでバイトしながら
何だか知らないがいつも下宿にいる
家に帰るのは着替えに帰る時だけ
そんな生活が続いたある日
おまえ
なんで家に帰らないんだ?
ってきいたら
ここの方が楽しいし面白いもんって
いっていた
す~さンなりにいろいろ考えたけど
まいっか
とあまり深くは聞かなかった
いろいろあるんやろ
楽しかったんだろうなと・・・・
とにかく馬がよく合い
こいつとは一生このまま付き合うんだろうなと
思っていた
大学卒業し
矢野は伊那製陶へ
す~さんはユニ・チャームへ離れ離れに
名古屋と大阪に離れ離れになったけど
よく大阪のす~さんの自宅へ遊びに来ていた
そのころは大阪の茨木
171が二股に分かれるところのマンションに住んでいた
藤の里っていっていた
万博公園も近かった
子供にお土産って
買ってくれたり
携帯もない時代だから
随分とゆっくりした付き合い方だったけど
離れて暮らしていても
顔を合わすと
すぐに学生時代の
仲間にもどる
あるひ
風の便りに入院したと
それも成田の病院
お見舞い行かなきゃということで
友達数人と行くことになった
幸い
義兄が松戸に住んでいたので
6人くらいでと泊めてもらい
成田までいった
元気そうだったので安心
当時は胃潰瘍なんて聞いていたから
なんや大したことないやんと
大騒ぎして帰ってきた
数か月して
また
風の便りで
神戸の病院に転院したと・・・・
<右側が矢野 左が 高橋>
ユニ・チャームの仕事もいろいろと
忙しくなってきて
ついつい
そのままになっていたのだけど
突然
あ
見舞いに行かなきゃ!
と
神戸の病院に一人で見舞いに行ってきた
がっしりしていた
あの矢野が
ベッドで寝ていた
起き上がれないと・・・・・
見舞いに行く前の日に
ベッドから落ちて
少し容体が悪化したようだ
ほんとの病人!
ちょっと愕然として
病気の原因も聞きさびれてしまった
尋常じゃないなと・・・・・
力なく笑いながら色々と話をしたのは覚えている
またくるわ!
という一言が
最後の別れの言葉になった
1週間後
お客様の代理店いると時に家に電話するようにと連絡
なんだろうと
電話したら
矢野が亡くなったと・・・・・
その後どうやって家に帰ったか記憶にない
人間って
簡単に死んじゃうんだな~と
その時得意先で大泣きしたのを覚えている
あの時やのがよんだんだろうな~~きっと!
お後にも先にも人前で泣いたのは初めてだった
親父やおふくろが亡くなった時も
涙は出なかった
今でも
ふっと後ろ振り向いたら
あの
ひとなつっこい
笑顔の矢野が
おす~~
なんて言いそうな気がする
いつまでも僕の心の中で成長し続けているから
矢野にはいつまでもかなわない!
65年の人生のうちの
ほんの4,5年くらい一緒に過ごしただけだけど
矢野に出会えた事は一生忘れない!
どんな時でも
あいつが勇気をくれる!
生きてるんだろう!
たいしいたことないじゃん!
って
どこかからいつも声が聞こえる
ほんとに大事な人と
喧嘩なんてしちゃだめだよ!
一番大事にしないといけないよ!
一緒にいる時
どちらかがが先に逝くまで
なかよしでいようね!
矢野のこと思うとね
いつも
涙が出てくる・・・・・
30歳の夏
人生、中々思い通りにはいかないもんだ
他人(ひと)が聞いたら笑える話、親友の死の巻!本人は真剣にやってるんだけどな~(泣)
by涙もろいす~さん