す~さん、明日追試やで~しってるか~?って電話が!ってか明日手術なんやけど・・・・
どもども、横浜のす~さんだよ!
大昔の国立大学って
3年から4年に進学して
卒業研究するのに
必須科目と言うのがあって
それ全部合格していないと
4年に進学できません
つまり
明日右耳の手術という時に
岡山大学の医学部のベッドで寝ていた時に
森松(たぶん・・記憶が定かじゃない)から
病院に電話がかかってきた
大石(阪神御影の隣の駅)の駅近くの一軒家に下宿していて
森松、高橋、す~さんと文学部のOといた大学の医学部のH
一緒に合宿みたいな生活していた
その森松から
工学部の掲示板に
追試の張り紙がしてあるぞ~~
と、電話してくれた
しってるか?
と聞くから
そんなもん知らへんわ
と
どうすんねん?
どうしようもないわ
とあほな会話を
100円入れながら公衆電話かけてくれた
森松には感謝
代わりに受験してもらっときゃよかったかな~~
勿論
顔と名前を
教授に全員覚えられているから
できるわけありませ~~ん
んなもん
どうすりゃいいの?
明日岡山大学で手術なのに
忘れもしない
材料力学
受かったと思ったんだけどな~~
だめだったようだ
変わった試験で
参考書、ノートなんでも持ち込み可の試験
つまり滅茶苦茶難しいんです
教授に電話して
なんとかお目こぼしを!
と事情話して頼み込んだのだけど
あきまへん
のそっけない一言
2回目の3年生が決定した瞬間だった
世間的には留年ともいう
さすがに
手術キャンセルはできないもんな~
それに
岡山から神戸まで帰ったとしても
勉強してなきゃ試験に通りそうにもないしな~
新幹線もない時代
岡山神戸間って結構時間がかかったのです
ま
しゃ~ない
当時
留年も浪人も当たり前の時代だったから
あまりがっかりはしなかったけど
一教科のために
1年余分に大学行くことになってしまった
親父おふくろは
呆れていた
<岡山大学の医学部もいい大学だったな>
鼓膜再生手術は大手術で
右耳の横にメス入れて
左足の太ももから皮膚をはいで
鼓膜代わりに張り付ける
6時間くらいかかった
隣で教授の声が
あ、そこ
もうちょいきったほうがよかったのにな~
なんて声が聞こえながらの手術
おいおい
大丈夫なんか?
す~さんの耳は・・・
もうすこしひどかったら
脳みその一部も
切除しなきゃならなくなるところだったと
これはす~さんが勝手に思った事
ま、脳みそにも影響が出るところだったと言われた
小学生の時の手術が初めてで
3回目くらいの手術だった
余談だけど
手術が終わって
手術室からベッドに乗せられて
点滴打ちながら運ばれている時
点滴の瓶が柱に当たって割れちゃった
看護婦さんが
あ、大変!
ドクター曰く
あ
その人大丈夫
超元気だからもう点滴いいよ!って
一晩ベッドで寝て目が覚めたら
横に手術してくれたドクターが寝ていた
あれ?
先生どうしたんですか?
ときくと
うん
長時間立って手術するから
腰をやられた
と、嘘のようなホントの話・・・・
ドクターの仕事って
過酷なんだな~なんて
思ったしだい
す~さんはというと
頭と耳は
包帯ぐるぐる巻の
フランケンシュタインみたいだけど
後はどこも異常なし
とっても元気
なので
次の日から
病院内うろちょろしていた
なんせ大手術だから
当時は退院まで30日かかった
看護婦(あえて看護師じゃなくて看護婦ね)さんと話すのが楽しくて
いつも仕事の邪魔していた
ドラマだと
そこで恋に落ちるなんて
シチュエイションだったんだろうな~
人生なんて
あっけなく
変わってしまうんだなと(留年)
変わらいこともあるんだなと(恋愛)
思う
かくして留年決定の
瞬間が何もなかったように過ぎて行ってしまった
21歳の冬
人生、中々思い通りにはいかないもんだ
他人(ひと)が聞いたら笑える話、留年決定の巻!本人は真剣にやってるんだけどな~(泣)
by右耳聞こえないす~さん